のりしろと脚注のはざま

のりしろとのびしろは似てるけどだいぶ違う

書いて書いて書き倒す日々の日記  

昨日に続き、阿久悠さんの話題ですが、番組再録‚ ‚ñ‚Å‚Ï‚ñ‚¾‚ñにこんなくだりがありました。


「私は毎日、壮絶と云っていいほどの日記を書いています。
もう十八年になります。
壮絶というのは、日記であって日記でない、いや、毎日記すということではまさに日記なのですが、自分の思いを日々書き残すことが日記なら、少し違ってきます」


阿久さんが日記を書いた理由は実際の文章を読んでほしいと思いますが「壮絶と云っていいほどの日記」っていう表現が面白いですね。一体どんなモノなんでしょう? そのうち日記や遺稿が出版されるかもしれませんが。


ネット上には実際、壮絶なほど長文の、まるでジャーナリストみたいな、・・・・と書きながら、私は一体どーゆー人のことを「まるでジャーナリストみたいな人」と思ってるんだろう?という疑問も浮かび上がってくるわけです、ああ、「まるで○○みたい」って、自分本位で曖昧な表現ですねw ・・・・などと言いつつ、とにかくその、非常に立派な、入魂の論評を日々展開する「日記」がたくさん、膨大に、無限に存在するわけです、このネット上には。


しかし、阿久さんの「日記」はワープロですらなく、万年筆でカリカリと書いていらっしゃったのでしょうね、きっと(まったくのイメージですけど)。


そういえば今、熊本市現代美術館で開催されている5周年記念展「ATTITUDE2007人間の家〜真に歓喜に値するもの〜」の中に、木下晋さんというアーティストが何十年間か、すいません正確な数字は忘れてしまいましたが(後でもう1度見に行ったら1980年から27年間の日記でしたw)、同じ型の手帳何十冊にわたりビッシリ書かれた日々の日記が、時系列に沿って壁一面に展示されています。
あまりに字が細かくて読めません。単に私が早期の(ここ大事)老眼だからかもしれませんが、日々実直に、かなりの量の日記が書き込まれているにもかかわらず、ハタ目には細密な模様ぐらいにしか見えない日記。・・・・すごい。そして、少し羨ましい。同型の手帳に、何十年にもわたって日記を書き続けようという思いつきが。そしてそのために費やした時間と労力が。もはや私はマネすることが出来ないから。これから書く日記をものすごく小さな文字でプリントアウトする、ぐらいしか対抗できない(対抗してどうする?)。


私の連れ合いは、ブログやSNS全般を「日記を書いて人に読ませたいなんて、変な趣味。気持ち悪いよ」って言います。ま、わからなくもないですが(笑)。