のりしろとのびしろは似てるけどだいぶ違う

のりしろと脚注のはざま

のりしろとのびしろは似てるけどだいぶ違う

食うことは生きること

最近ですねー、志田未来ちゃんって女優さんが頻繁にトーク番組に登場します。ドラマ「14才の母」のあの少女です。「誰も守ってくれない」とかいう映画のキャンペーンだと思われますが、私の中には「ぬいぐるみと会話する人」「ものすごく偏食な人」としてインプットされちゃいましたよ、ええ。

その偏食ぶりが珍しいんだか面白いんだか、ジャニーズやらとんねるずやらの食べ物がらみの企画にやたら引っ張り出されていたわけですが、14〜15才の少女が、その食べ物を、いかに、どんなふうにキライかを、ニガテかを、熱く語るサマを見るのは、正直楽しいですか? まったくもって個人的な意見ですが、私はけっこう嫌なものを見せられてる感じがしました(じゃあ見るなよ、って話ですけど、いつも見てる番組にことごとく彼女がブッキングされてるんだから必然的に見てしまうわけです)。
細かいこと言うと、彼女のこれからの、おそらくは“実力派”として王道を歩むのであろう女優人生にとって、こういったトーク番組で必然的に露呈してしまう「偏食の不思議ちゃん」というキャラ設定(っつーかコレが彼女の本質だとしても)はどうなんでしょう? 彼女自身に自覚はなくても、家族、いや事務所は止めるべきでしょう。もうメシ食い番組に出しちゃダメ。

まーコドモの言ってることだから、と広い心で受け止めりゃ笑って見ていられる範疇ですかねアレ。たぶんほとんどは「食わず嫌い」と思われますし、まー食育の観点から言えば、もっと小さい頃に、親が家族が多少気をつけて導いてあげれば、あのような食物に関する様々な思い込みは芽生えなかったのではないかと、思わなくもないです。
未来ちゃんの話によると、今は給食も「残して当たり前」らしいし、昔のように給食食べ終わるまで昼休みも教室から出られない、なんてことはないらしい。給食を完食することを強制するのはコドモの人権侵害なのか、はたまた個性を潰すことになるのか?? ともかく今、学校はそーゆーことになってるらしい(でも実際、給食以前に家庭の問題でしょうけどね)。だけどねぇー、周囲がヒクくらいの偏食抱えたまま成長するのを放置してていいんでしょうか。

まー未来ちゃんはまだコドモだから、自分の偏食ぶりを嬉々として語ってるわけだけど、もう少し経ったら、こんなに何も食べられないのって恥ずかしい、とか、実はもったいない、生きてる上で損なことじゃないの?・・・などと自分で気づく日が来るかもしれない。そうなればきっと、自分で偏食を克服する努力をし始め、いろんな食べ物を味わう楽しみを知っていくかもしれないですけどね。