のりしろと脚注のはざま

のりしろとのびしろは似てるけどだいぶ違う

歩いても歩いても

えー遅ればせながら、是枝裕和監督の「歩いても歩いても」を見ました。
これは非常に、一見淡々とした映画ですけれどもね、・・・・・深いです。こういう喩えはどうかと思うけど、もし向田邦子が生きていたならば見たかもしれないドラマ、・・・・でもそれは久世光彦演出ではなく和田勉でも深町幸男でもなく、やーっぱ是枝監督の絵づくりなんですよね、おそらく。

ストーリーその他はここでは特に触れませんが、樹木希林の調理シーンのすごさ。トウモロコシの天ぷら、枝豆の入った混ぜ御飯(お寿司かもしれない)、冒頭の、人参の皮を癇性に剥く(というか、こそげ取る)しぐさ、・・・・・その1つ1つがすごい。忙しく手を動かしながら口の方も盛大に動いているんだけどそのお喋りが時にギョッとするほど毒があるわけで。

彼女は何だか、挑むように料理をする。夫役の原田芳雄とは長年連れ添ってはいるけど心通い合っている感じではなく、会話もお互い皮肉混じり。いろんなものを諦め、いろんな怒りや落胆を胸に納めつつ、ひたすら料理をしてきた妻。料理に関してだけは夫には文句を言わせないという自負。

思えば、誰しも自分以外の人間ってみんな「デリカシーがない」って考えがちですよねぇ。家族間の小さな衝突って、たぶんほとんどそういう思いから始まるような気がします。私なども老母の言動に日常的に小腹を立て「何て無神経な!」と思うわけですが、あの天下無敵の口の悪いオンナも、昔から老婆だったわけではなく、きっといろいろあったのですよ。私も長年見てきているわけですが、母子というフィルターは互いの見たくない部分をかなり見えにくくするものなので、気づいてないことも多い気がする、・・・でもとりあえず、長い長い醸造期間を経て、ほろ苦酸っぱいあのキャラが出来上がってるのでしょう。

映画の中の人物もみなちょっとずつトゲトゲして、自分以外の人のデリカシーのない言動にちょっとばかり凹むわけですが、そこで自分がどんなふうに傷ついたか、なんてことを声高に言うのは大人げないような気もして、実際自分がこだわってること自体、取るに足らないことのようにも思え、取るに足らないことだとわかってるのに、ちょっとイラついたり悲しんでいたりする自分の感情を持て余しているんですねぇ。いい大人なのに。
そんな感じですよね、実際。

そういえば冒頭の方で散歩に出る原田芳雄が向かいに住む老婦人、加藤治子とバッタリ会って立ち話するっていう小さいシーンがありました。加藤治子樹木希林と並ぶ向田ドラマの“顔”でしたよねぇ。小さい役でしたけど(最後の方に意外な形で再登場する)、加藤治子さんがそこに出ただけで、なんかこの人過去に因縁のあった人なんだろうな、と思わせる。もしかしたら夫役の原田芳雄と関係があったのかも、お向かい同士なのに、・・・・などと想像させる一瞬の表情。ま、深読みかもしれないけどねw

非常に静かな、淡々とした映画だけど、怖くて、笑えて、ちょっと意地悪。何年か間をあけて繰り返し見たいような映画です。